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『大河の一滴』五木寛之 ―啓示された

大河の水は、ときに澄み、ときに濁る。
いや、濁っていることのほうがふつうかもしれない。
そのことをただ怒ったり、嘆いたりして日を送るのは、はたしてどうなのか。
なにか少しでもできることをするしかないのではあるまいか。


人生には苦労もあるし、悩みもある。
プラス思考できれば良いが、それができずに心が萎えたり、塞いだりしてしまう人もいる。
このような悩みはなかなかなくならない。
なくならないことにまた悩んでしまう。
しかし、悩みとはなくなるものなのだろうか。
そもそも人生というものは概ね苦しみの連続なのではないか。
このよな認識から我々は出発すべきなのかもしれない。
するとそこには、人間中心のヒューマニズムではなく、ちっぽけな存在としての人間を見ることができる。
小さな一滴に過ぎないが、大きな水の流れを形作る「大河の一滴」。
人間とはそういう存在なのではないか。


最近、痛感しているのは、人間はただ生きているというだけですごいのだということです。

人間は一生、なにもせずに、ぼんやりと生きただけでも、ぼんやり生きたと見えるだけでもじつは大変な闘いをしながら生き続けてきた。

人間とは唯一無二の存在である。
医療にしても、一般的人間という概念では捉えきれない部分があるはずだ。
常識にとらわれず、自分の自然な欲求に耳を傾けることも必要であろう。

先の大戦後、日本では非のような、己の無力さに涙し、人のために悲しむという情やルサンチマンを排除しようとしてきた。
しかし、その代わりに作ろうとした知的、合理的で乾いた文化は人間の心も乾かしてしまったのではないか。
感情、情念を育てることが今、大切である。


究極のマイナス思考から出発した思想家にブッダや親鸞がいる。
彼らはこの世は地獄であると言った。
しかし、その中にも人の善意、正直さ、親切、助け合い、笑い、幸福な瞬間、自由、感動などがある。
極楽が地獄の中に確かにあるのだ。
親鸞の自然法爾も漱石の則天去私も恐らくそのような感覚であろう。

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by bosatori65 | 2014-10-12 07:33 | 読書 | Trackback | Comments(0)

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